29

ALWAYS the way to go your way

5月病

私は、まんまと5月病にかかっているのかもしれない。

I might be "The May blues".

毎年そうだったかというと、そうではない気がする。

I feel like I have had "The May blues" every year. 

 

去年と今年の違いを考察してみよう。

Let's consider the difference work-load between last year and this year.

  1. 人の入れ替わり(ブラックボックス化していた人がついに他部署へ異動)
    Personnel changes (A man whose works is like a black box is moved to another department. )
  2. ブラックボックス化していたグループのメンバーの退職
    Retirement of some menbers belonging to his team.
  3. ライフイベントの発生による離職
    Retirement for life event and her works was also like a black box. No one knows her works. 

通常業務に加えて、これらのイベントの影響が大きいと考察している。

I am considering those events are huge impact includes normal works.

加えて、「英語が書けない」「話せない」「表現できない」を都度指摘されることが、精神的負担になりはじめている。

I have a point out everything I wrote like "your writing is terrible", "your communication is not communication", " Unclear expression". It makes me be a mental burden.

 

「他人と比較したらあかんで、かいちょー」

"Don't compare with another." 

その言葉を思い出して、東京で頑張ってきたが、

I remember those words every time and try to do my best in Tokyo. 

 

"Your English skills are the worst in our team even if you are a leader in our company."

I feel it is stupid I work here as a leader.

However, my English skill level he said is a fact of me. 

 

「あなたは会社の中ではリーダだが、チームの中で、一番英語が弱い」

とまで言われてしまうと、

「自分がやりたいこと」を半ば後回しにして、ひたすら仕事をし、

「チームの方向性」「生き残り」をかけて、

「組織」の情報収集屋として

「リーダー」の立ち位置に上り、

立ち回ってきた自分が阿呆らしくなってきた。

 

ただ、

「あなたは会社の中ではリーダだが、チームの中で、一番英語が弱い」

という事実は変わらない。

 

人には1日24時間ある。

笑うも泣くも、自分次第である。

誰かの評価や社会的評価のためにリーダになったわけではない。

キーパーソンがいて、その人に仕事が偏っており、

このままでは、働く場所さえ危うくなる、と思ったからリーダになった。

 

元来、やりたいことに熱中するのは私の習性である。

複数のことを持ち、対応することができているように見えるかもしれないが、

スタック量と短期記憶・忘却が少し早いだけだと思う。

1つこなしていろいろホールド、タイミングを見て動かす。

接客業経験のたまものかもしれない。

 

 

ちょうど2015年の7月頃、新大阪駅で買い、東京に着くまでに読み終えた本がある。

さすがにここまで酷くはない。会社はホワイトに近いグレーだ。

部署としても、限りなくホワイトに近づいているが、それは人による。

 

心身共に衰弱する状況になった私の例:

日曜:休日出勤 12時間労働→特に問題ない

月曜:通常出勤  8時間労働→特に問題ない。就業時間終了間際にトラブル発生、残業。

火曜:振替休日返上、午前休。朝、別件障害発生。

   朝ごはん中に障害コールあり。そのまま障害対応へ駆けつけ。

   月曜のトラブル対応、進行しはじめる→特に問題ない

   昼過ぎ3つ目の障害対応発生。上司にフォロー依頼。

 

複数の仕事をホールドしながら、

障害対応をしていたときに書いた英文に対して、

It does not make a sence. と立て続けにチャットが飛んできた。

「何度言ってもひどい英語」と残念な顔をされる日々。

少しは他の仕事もしてよ、と言いたくなるが

「それは〇〇さんが頑張っているよ」と言われる状況。

まるで「それは私の仕事ではありません」と言われているような気分だ。

 

目の前には、まったくネットワーク接続できないお客様のPCと、

マウントされたネットワーク機器たち

 

凍えるほど寒いのサーバルームの中で、

私の英語が悪いのはわかったが、今はそこの解決ではなく、

お客様の仕事環境を治すのが先決。

「自分が英語を書くたびに、

そのメールを送られた人に迷惑をかけていることを自覚しろ」

とも言われた。確かに人の時間を奪っている。

 

ただ、仕事をしたいだけなのに。

いい仲間に恵まれ、いいお客様に恵まれ、

なのに、私が英語がひどいために言われる言葉に耐え切れず、

私は今、仕事をやめたくなっている。

 

時間的に余裕のない今の仕事を続けて、

現状を打開できるだろうか。

 

honto.jp

 

この時も、そういえば同じくらい苦しかった。

 

honto.jp

29

このブログも28→29へカウントアップしました。

 

新人教育に時間を費やした本日、残務を持ち込みひとり星野珈琲の日です。

22歳の新入社員時期を思い出し、もう会社勤めを7年しているのだと、はっとします。

お客様とお話すると、10年なんてあっという間よ、

とともに「またぜひお願いしたいわ!」と温かいお言葉をいただき、

成長を感じられる日々です。

 

自分を他人と比べてはいけない。

19の頃に先輩からご指導いただいた言葉。

今も立てているのだなぁと感謝することが多いです。

 

人様を見ても、比べず独立独歩、

今の私がまっすぐ歩けているのは、

これまで関わったみなさまのおかげだなぁ、

と思うのです。

 

振り返りをしつつ、時折、29の1年を綴ろうと思います。

 

22

ホノルル − 旅の記録

3泊5日のホノルル旅行に行ってきた。

金銭的にも、体力的にも

3日間という初ホノルルの相棒にとっては「ちょうどよい」期間だった。

私は17以来だから、11年ぶりだ。

アナザースカイ的にいうと、

現在の私になる原点回帰の場所、ホノルル、である。

 

トロリーに乗り、左は出雲大社、右はダイヤモンドヘッドまで、

LeaLeaトロリーでぐるぐる巡った。

 

だいたい前回の来訪も12月の第2週目だったと記憶している。

庁舎の前のサンタクロースと夫人、大王像を11年前は、

バスから眺めたことをトロリーから眺めて思い出した。

軒並みにABCマートが続いており、間に露天商の場所が挟まっていた風景を

トロリーから見て、ダイヤモンドヘッドを目指している最中に、

11年前泊まったホテルは、おそらく、

海沿いの動物園や水族館がある側のホテルだったことも思い出した。

 

カラカウア通り沿いだと思っていたが、

どうやら少し離れていたようだ。

カラカウア通りを覚えていたのは

「Tギャラリア」で買い物を楽しみ、免税バックを持った同級生を見て、

自分には遠い話と思いながら羨ましく思っていたからかもしれない。

 

11年後に結婚して、新婚旅行に来るとは17の私は

きっと予想もしていなかっただろう。

当時は、

大学の進路をどうしよう、とか

人と関わり、仕事をして生計を立てていけるかどうか、とか

これが、深刻な悩みだったろう。

人生はわからぬものである。

 

簡単に3泊5日の行動記録を記載しようと思う。

 

1日目 すこし肌寒い

約7時間の飛行機移動の末、

朝7時過ぎにホノルル空港に到着。

旅行会社の団体バスに乗車し、ワイキキ市街地へ移動。

 

トロリーに乗り込み、出雲大社に参詣。

ダウンタウンの向こう側にあり、

海とか砂浜とかさっぱりないことに驚いた。

 

トロリーに乗り込み、ぐるりと一周。

アラモアナショッピングセンター下車。

昼食:POKIをシェア

Macy’sでサンダルを購入。

道すがら、珊瑚柄の赤いワンピースを購入。

トロリーに乗り込み、ロイヤルハワイアンセンターへ戻る。

ホテルにチェックイン。

夕食:インターナショナルマーケットプレイス イーティングハウス1849

46ドルほどの骨つきステーキをシェア >>お腹いっぱい満足 

 

 2日目 少し肌寒い

朝食:ロイヤルハワイアンセンターのアイランドビンテージコーヒー

オリジナルアサイーボウル

ジンジャーチャイラテ

 

トロリーに乗り込み、水族館へ。

小学生の遠足日だったらしく、ヤドカリとウニを触れる体験をさせてもらえた。

 

トロリーに乗り込み、ぐるっとダイヤモンドヘッド通過、

カハラモール下車。ホールフーズが人気らしく、お買い物。

 

昼食:タコベル @カハラモール

タコスとナチョスのコンボをシェア

 

トロリーにのりこみ、ロイヤルハワイアンセンターへ戻る。

ABCマートでお買い物。お土産の大半はここで購入。

 

LeaLeaのラウンジで、翌日のオプション探し。

他の島へ飛び、夜空を見るツアーに行きたいという話だったが、

2日前に枠をキャンセルし、取り直す必要があるらしく、

今回は満席で断念。

 

ダイヤモンドヘッドの朝日を見るツアーか、

潜水艦で深海30mを見るツアーかを考えているときに、

タイムシェアのエージェントに声をかけられた。

今回はディズニーや海、というよりも、ゆっくりしたかったので、

潜水艦のツアーを選択し、予約。

 

夕飯の時間まで30分あったため、ロイヤルハワイアンセンターの

ティファニーへ。イーストウエストミニのティファニーブルーカラーを購入。

 6ヶ月前に発売されたらしいが、あまり在庫がないという話を聞き、即決。

クッキーがとてもおいしく、ギクシャクしていた相棒との会話も良好に。

滞在時間20分、10分で会計から梱包までしていただき、

大変申し訳ない気持ちになったが、

顔色ひとつ変えずにてきぱきと、笑顔で対応してくれた、

サミーに感謝したい。

 

夕食:BWTのエージェント山口さんと待ち合わせ ルースクリスまで案内してもらう

ディナーコース(飲み物は別料金のため、注文せず)

相棒いわく、上品なリブロースらしい。

マッシュポテトとほうれん草のソースがグラタン皿いっぱいに出てきて、

驚いた。

ほうれん草のソースが絶妙で、ほうれん草スープを作りたくなった。

 

BWT山口さんとTギャラリアの喫煙所付近でピックアップしてもらう

タンタラス夜景ツアーへ。

ハワイ、ワイキキのワイは水という意味らしい。

 

縁があるらしい。

水に関わる場所や空気の澄んだ場所に行くと昔からとても心地よい。

 

感情というものが薄れてくることに気がつき、

それに歯止めをかける、これは本来の自分とは違うと思う、

おそらく私は今まで苦しいと思わず苦しんでいたのだと、

山口さんのお話を聞いて気がついた。

 

夜景はシャンパンゴールドの光がいっぱいで、

夜空からは星が見えた。

 

3日目 少し肌寒い

朝食:ロイヤルハワイアンセンターのアイランドビンテージコーヒー

リリコイ モアナ ボウル

ジンジャーチャイラテ

 

ささっとTギャラリア横の待ち合わせ場所へ移動。

アトランティスのバスへ乗り込み、

ヒルトンハワイアンビレッジの辺りの海辺に到着。

日差しが出ており、暑さを感じた。

これが本来のワイキキの暑さかもしれない。

潜水艦アトランティスの場所まで、クルーザーで移動。

クルーザーから海を見下ろしたところ、

亀が顔と両前足を出してこちらを見ていた。

次に振り返った時には姿が消えていた。

スカイブルーだった海の色がエメラルドグリーン、群青色に変わる様を見た。

 

潜水艦へ乗船。人工漁礁に群れる魚たち、亀を見た。

水族館とはまた違う趣のある場所だった。

相棒はとても嬉しそうだった。

潜水艦もそうだが、クルーザー移動が予想外にあり、嬉しかったらしい。

 

昼食:モアナサーフライダー ザ ベランダ

ピニャコラーダ

エッグベネディクトが食べたいという相棒の希望からザ ベランダへ

パンケーキは2名以上でシェアしたほうが無難

2品頼んだだけで、満腹に。

 

モアナサーフライダー ザ ベランダの空間は、

とても居心地が良く、相棒も気に入ったらしい。

海辺が近く、樹木が生い茂っており、鳥の鳴き声がする。

帰り道に付近の砂浜を裸足で歩いた。

この砂浜と海辺が、いわゆるよくみるハワイの海辺なのだろうな、

と理解した。 

 次回は、海辺のホテルも検討しよう。

 

ホテルに戻り、運動靴に履き替え。

 

ぎりぎりの決断だったが、ダイヤモンドヘッドハイキング決行。

トロリーに乗り込み、ダイヤモンドヘッド登山口へ。

登山料 1ドルを支払い、ハイキング開始。

40分で片道を登り、30分で下山する計算で、

ぎりぎり最終トロリーに間に合う計算だった。

ペース早めで必死に、登った。

道中、下山途中の杖をついたおばあさんから、

Have Fun!と笑顔をいただいた。

 

空気は綺麗で、気分は爽快だ。

日頃汗をかかない生活をしているので、

とんでもなく汗だくになった。

20分早く下山でき、トロリー乗り場で最終トロリーを待った。

野良猫がいっぱい草むらにいた。

 

スコールを浴びながらトロリーでロイヤルハワイアンセンターへ戻る。

LeaLeaラウンジで、夕飯を検討。

初日の肉が美味しかったらしく、もう一度食べにいくことに。

ロコモコを食べたいという相棒の希望も叶うらしい。

 

夕食:インターナショナルマーケットプレイス イーティングハウス1849

ロコモコが夕食メニューになかったが、お姉さんに相談したところ、

シェフがOKしてくれ、注文できた。

一番高い骨つきステーキ肉は、今回カットしてくれ、食べやすかった。

チョコレートスフレという名のフォンダンショコラを堪能。

 

ABCストアで100ドル購入特典でマグカップをいただき、ホテルへ戻る。

 

4日目 少し肌寒い

朝食:ロイヤルハワイアンセンター アイランドビンテージコーヒー

ハウピアモアナボウルをシェア

ジンジャーチャイラテ

フードメニューは7:00スタートらしく、

出発時刻が8:00であることから、食べられず。

 

3日通してアイランドビンテージコーヒーを朝食に選んだが、

近場でとても過ごしやすい空間だった。

かなり混雑しているときは、番号を呼ばれたら、

取りに行く方がスムーズだった。

 

ホテルをチェックアウトし、集合バス待ち。

待っている間、同じバスを乗る日本人観光客と遭遇。

時間になっても来ない車を待ち、道路沿いに立っていた。

タクシーが何台も止まっては、旅行会社の車かと尋ねられ、去っていった。

 

その光景を見ていて、言葉は正確に通じたほうがよい、

というよりは、言葉も大切だが、

しかしその土地の慣習やマナーや、

カルチャーを学ぶことが必要なのだな、と痛切に感じた。

知っていれば、焦ることもなく、待つ。

例えば、集合場所はホテル正面玄関だとしても、

集合バスの止まる場所は、

3分だけ一時停車を許可されている場所であることもそうだ。

 

道路標識を見ればわかることだが、

旅慣れしているか、状況察知能力があるかが問われる上、

似たような目に遭っているか遭っていないかで、変わってくる。

例えば友人の車の停車場所に困って停車場所探しに標識探しをしたり、

スーパーに行くためにバスを電話で呼び出す生活を数ヶ月味わったりすると、

だいたい予想がつくのかもしれない。

 

留学しているときのサマークラスで

アメリカのカルチャー研修があったが、

あの当時はあまりためにならないと思っていたことも、

ここらへんで活きてくるのだと反省した。

それと同時に、英語を話せる自分を旅に同行させたい、

両親の意向もよくわかった。

ここらへんの理解というのは、

やはり学び、理解して初めてわかることなのだろう。

 

よい経験をさせてもらえて、両親には本当に感謝である。

経験とは人生の財産である、とはよくいったもので、

19の頃の半年はかけがえのない人生の転機となった。

 

その転機を作ってくれた原点、ホノルル

昔と雰囲気が変わったと思ったのは気のせいではなく、

ガイドさん曰く、治安は少々悪くなったらしい。

 

11年前に気がつかなかっただけかもしれないが、

浮浪者をよく目にした。

その光景は、昔よく目にした

公園のブルーシートを思い出させる。

幼少期の大阪の光景を思い出した。

よく通り過ぎるときに祖母から、

「目を背けず、よく見ておき」

と言われたものだ。

その言葉から、

ホノルルを旅した祖父母の写真を思い出し、

祖父の葬式で写真が投影されていたことを思い出した。

 

原点回帰 –  ホノルル

忘れていただけで、縁 のある場所だった。

 

ひとり時間の大切さ。

 

自然と涙が出てくる周期がある。

 

結婚式には参加者、自分たち、時間もお金も、かかる。

披露宴は開催する予定はなく、静かに過ごし、旅の資金を貯める予定だった。

 

 

2次会という名のお披露目会をやらないか。

そうお声がけ頂き、2次会という名のお披露目を行うことになった。

お披露目。一般的に2次会は幹事の采配により、

新郎新婦はお金を払うことはないという。

 

何が起きたのか、気持ちが大きくなっていたのか、急いていたのか、

列席者の皆様からいただいた金額をありがたく頂戴しても、26万円の出費。

およそ1ヶ月の給与が「幸せ」をお披露目するために飛んでいった。

 

支出が予想していたよりも多かったが、それはそれでよかった。

世の中には26万円を出費して、人が祝福してくれるとは限らない。

30人もわれわれの幸せを祝ってくれた。

30人もだ。よかったのだ。

 

披露宴の前日に、預金口座をネット越しにみてみた。

今ある残金。

この残金で、いくなら、南国の島。

加えて、その市場でリーズナブルなもの。

 

ひと言ふた言、言葉を交わして、その旅行パックに決定した。

 

披露宴、久しぶりの笑顔に顔が引きつった。

人から注目されるのはとても久しぶり。

小さい子達は、かわいらしい。楽しきアルバイト時代を思い出した。

披露宴の自分、ではなく、アルバイトの自分、がそこにいた。

自分の披露宴の実感がない。

 

披露宴後の2次会。 

ハワイはもう少し長くいったほうがよい。

フライトの便はビジネスがいい。

ホテルは決まっているのか。

いろいろ心配していただいた。

 

言いたかった。しかし、せっかくの披露宴のハッピーな空気を壊してはならぬ。

実際疲れもあったが、極端に疲れたふりをした。

 

もしも披露宴がなかったら、30-40万の旅行になっていただろう。

土日も含めて、滞在日程は5泊7日にしただろう。

5泊7日の懸念点は、旦那が南国の環境に適応するかどうか、歩き疲れないか、だ。

3泊5日で十分だ。その場で、「それが正しい」と言い聞かせた。

 

もうすぐ1ヶ月がたつ。

騒々しい我が家に帰りたくない。

帰って、料理を作って、食べて、就寝の生活は少し嫌になってきた。

自分の時間が欠如している。

本を読んでいると、聞こえてくる雑音。

アニメを一人で鑑賞する音。

TVはついているのに、顔はスマホに向かっている情景。

 

私はおそらくその環境を拒否している。

ヘッドフォンが必要。遮蔽する何かが必要。拒否反応を示している。

目を背けるために、食べたら眠たくなる。

話す必要がないことを口にしそうだから眠いふりをする。

拒否反応を示している。

 

慣れてきたところで、一度、小休止をとりたくなる。

最近は特にひとりで過ごす時間がなく、仕事では、仕事の顔、

家庭では家庭の顔、私はどこにいったのだろうか。

 

ほろり。久しぶりにひとりで空を見ながら帰ると、

涙が流れてきた。絶え間なく。

 

誰もいない。誰もすれ違わない。

今なら泣いてもいいよね。

だれも心配して近寄ってこないでね。

 

いろんなことを思い出した。

 

仕事を辞めてった諸先輩たち、

そういえば最近、仕事のハリがなくなったなと思う。

見てくれる人がいなくなったからか。私が見る側になったからか。

もう誰もいないのだ。このまま私はくたびれていくのだろうか。

 

私は何を仕事としていて、これから何を仕事にしていくのだろうか。

このままでいいのだろうか。

私はどこへ向かうのか。何を得るのだろうか。

 

考える。

考える時間も足りなくたっていたことに気がついた。

最近は仕事場にいても部屋に帰ってきても、どこにいても、

小言ばかり聞いて、「私はどこを目指しているのだろう」

と思うこともしばしばある。「ひとの話を聞いてなんぼ」と思う

こともある。それが役立つときも大いにある。

 

深呼吸。もう十分泣き続けただろう。

20:00からだからもう2時間40分経っている。

今日はここまで。すっきりしたら、次はプランニングね。

明確な目標とスケジュールを立てよう。

 

昔から変わらぬ、これが私の日常。

ひとりの時間があるからこそ、道が拓けることもある。

誰にだって曲げられない想いと軸がある。

曲げられない想いや軸がある。

たとえば、

なぜその業務を行なっているのか、

誰のために行なっているのか、

どうすると、その業務が他者のためになるのか

 

昔、珈琲屋のアルバイト先で先輩に言われた言葉を借りよう。

「全ての仕事には意味がある、意味のない仕事や業務、作業はない」

同い年なら分かっているさ、もう同じ仕事を3年やっているものね、

そう思って、そのままいたけれど、その3年ではあまりそういう話は

されてこなかったらしい。

 

曲げられない想いや軸がある。

そりゃだれにでもあるさ、と思っていて、

自分ももっているが、仲間やだれかに話したことはない。

私はそれを人に伝えるということを欠いていたらしい。

 

仕事柄、仲間に方向性やら業務の流れを伝える立場上、

それを欠いていたというのは、業務怠慢だろう。

 

自分の方針ではなく、会社の方針を伝達する立ち位置であるがゆえ、

自分の考えなど、反映させたら、次このポジションを継ぐひとが困惑する。

そう考えていたが、お客様を前にして、

あまり指示された内容に疑問も持っていても

「やればいいんでしょ、どうせ答えなんて返ってこない、仕方ない」という考えで

お客様の目の前に立たれるのは、私は容認できない。

 

「フロー通りやっているじゃん、何が悪いの」

という人ももちろんいるが、それがお客様の目の前に立った時に、

声に、応対に出るのは、サービス提供者としてありえない行為だ。

 

みんなできる子、と思っていたら、

やっぱり2015年以降の自分が抜けた後から、

いろんなところにヒビが入っている。

何となくやってみてできた、から大丈夫ですよと

いうのは、もうそろそろやめにしよう。

 

この数ヶ月、少し外出が多すぎたな、と反省している。

5月中旬からプロジェクトに参戦している場合ではなかったのではないか、

さて、どうしようか。

 

勉強するのはどういう切り口で始めるかだとおもう。

年間20万円ほど英語学習に投資していることがわかった。

安いと思うかもしれない。中途半端に読んだ書類が3つほどあり、その再学習が必要だと思いつつ日中帯は、溜めていたドラマやアニメをざっと鑑賞しながら、「やらないといけないなぁ」と思っていた。

この長期休暇は、その学習に当てようと思う。

なぜこの学習をするのか、改めて考えることにした。

年間20万円を投資するほどのものか。→Yes.

なぜ英語の勉強をするのか。

→勉強、というよりは、よりよいビジネス関係を保ちたいという思いが強くなったことが「大きな原動力」となっている。すぐに終了する仕事があるなか、数年関わっているパートナーのとの共通言語が「英語」、それもどうしようもない英語を書いているにも関わらずかなり譲歩、汲み取って解釈してもらっているような気がする。もうそろそろまじめに取り組まねば機会損失になりそうに思えてきた。学卒、新入社員ならまだしも、きゃぴきゃぴするのも、もうそろそろ潮時だろう、と昨今周りを見ていて、振り返ったところだ。

苦しいところは→ 英語なんてできて当たり前だ、といいながら、社員の7割が日本語運用。それにも関わらず、なぜか評価が変わらない。きっと他の何かで補えているからよいのだろう。ただ、たとえばその補えているところに自身がたどり着いたときに同じ評価ならば、そろそろ別の道を模索するのではないかと思う人も居るのではないかと思う。

 

まとめると。。。

他人に迷惑をかけないような英語作法を身に着けることが、近々のGOAL(ゴール)

自分が変わると回りの考えも変わると信じて、突き進もうと思う。

 

仲間の卒業と残された仲間たちの今後

源泉徴収票と目標達成

源泉徴収表を見て、「ふぅ、ようやくここまできたか」と思えるようになった。
着実に計画的に進めると、何とかできるものなのだと数字があらわしている。

具体的にこんな感じで、進めたら結果が出た。

  1. 20xx年には年収○○万円と決める(大枠)
  2. 3年以内に達成する目標(指定されている資格数や目標レベルに沿う)
  3. 5年以内に達成する目標(業務上必要な勉強をする)
  4. 7年以内に達成する目標(業務でその道のプロに必要な水準に引き上げる)
  5. 10年以内に達成する目標(考え中) 
年中無休でサービス提供、自分は休日、でも仲間は働いている

プライベートと仕事の関係を問われると、
5年間を振り返り、がっつり仕事をしている時期のほうが多かったような気がする。

自分が休日でも、仲間は働いている。
リーダになる前から、休日にもPCに向かう生活、
誰からかメールが来ていないだろうかと心配になり、
どこにも出かけず「私には仕事がある、それで十分」と思う
明らかにワーカホリック症状だった。

少し前までの仕事

夜間休日に連絡が来るのは、「私のサービス構築不足」が原因ととらえ、
「再構成が必要」というNext Actionが提示され、
休みであろうと原因究明・改善活動をはじめる。

--------5年もそんな話を受付から作り手まで経験を積むと、
原因究明や改善活動の時間が短くなり、
夜間休日の連絡もなくなり終息していく。
結果サービスサイクルが順調に回り始める。


これが仕事だ、といえば、
後世は「そんな仕事やりたくない」
というのではないか、と最近思い始めている。

送別会のはずが、OB会のようになった宴で、
先輩から
「徹夜とか終電逃したりとか、あの頃はあったねぇ。何でだろうね。」
と笑いながら話し合った。狂ったように働いていたが、
今になってみれば、よい先輩方に恵まれ、今ではよい思い出だと、私も思う。

「自分以外の他者に迷惑をかけないこと」

自分が発端であろうと、自覚症状がなかろうと、
他者に迷惑をかけてはならない。

幼少期の私はそのようなことを学んだ。
自分の責任の範疇で、自分で考えて行動すること、
これは社会で求められるものなのだと、身にしみる。
学校での共同生活は協調性をもつものだったと認識しており、
それはそれでよかったのだが、
必ずしも他者と同じ必要はなかったことも、
留学してわかったことだ。


「○○ちゃんだけちがう~」「みーんなおそろいー」


違和感を感じはじめたのは幼稚園か小学校の頃だっただろうか。

仲間の人数が増えて、若手を仲間に加えたところ、
そのような空気が流れはじめたように思う。

  • 誰かが優位に立ったら、自分はどこかへいく
  • だからみんな同じ、優位者はいない

目標どおりに年収を上げて、ポジションも変わっていった私に対して、
「あなただからできたのよ」
という言葉をいただくことがある。
「私が追い抜かしてしまった」先輩からその言葉を言われると、
申し訳ないような、しかし、
なぜ現在の環境の文句をいうのに立ち上がってくれないのか、
と思うことはあった。
そのように思うことはあったが、もう過去の話にしようと決めた。


上がらない人とは「さようなら」をしようと思う

自分が休日のときにも働く強い仲間がいる。
仲間もさようならを幾度となく味わい、最後の要も、旅立つことになった。


お疲れ様でした、とともにひとつの物語は終幕を迎えた。

残された仲間たちは、どうするだろう。

警告し続けることも、私の仕事の一部であるが、
もうそろそろどうしようか考えものである。

とりあえず、「忙しそう」と思っている人たちに向けては、
私が資格を取ると、よい刺激になるだろうか。
また、「あなただからできるのよ」といわれるのだろうか。
そういわれたら、もうどこかに武者修行に出て、
せめて現実と向き合ってもらいたい。