29

ALWAYS the way to go your way

容赦ないという

「容赦ないね」

そういわれているらしい。あまり自覚はしていなかったが、
もともとゼロかイチか、白か黒かつけるほうがどちらかといえば多い。

 

管理職、と呼ばれる仕事に就いてちょうど3年から4年を過ごし、
現場と役職者との中間管理職として生きてきた。
立場、として「29」としての個人的な主義・思想はもちろん見えないように、
中間管理職という役割を演じ続けたが、それもあとのこすところ1か月足らず。

 

中間管理職の役割を演じる前は、数々の「課題・改善」という名の
打ち上げ花火を問答無用で上げ続ける「29」というオペレータだった。

中間管理職の役割として、「打ち上げ花火」を挙げることになろうとは。
それも、今回は「人間関係事案」だ。

 

4月に私はとんでもない判断ミスをしてしまった。
簡単にいうと、泣き崩れて「明日から会社に来ない」という同僚の要望を、
上司とともに100%聞いてしまったのだ。

それが非常に今問題の核となって華開いてしまっている。
当人たちは気にせず、当たり前のようにわがままを通し続けており、
図に乗り始めている。
周囲のモチベーションをひどく落とし、
チームワークの欠如を引き起こしたあげく、
仲間外れつくる行為をを「本人たちは全く自覚なく」行っている。


引き金は、私の手で引くことになった。
きっかけを作ってしまった身である。幕引き役をするのは必然である。

終幕を迎えるにあたり、
ふと単なるオペレータ「29」の思考に戻すことにした。

もし私がオペレータであれば、どうするか。
楽しく「課題・改善」という打ち上げ花火を打ち上げるにちがいない。
4月から積み上げた苦渋にはふさわしい結末を迎えさせてあげようと、
少しサプライズがあったほうが「自覚のない本人たち」にとっても
わくわくどきどきがあって楽しいだろうと、非常に悪い笑みを浮かべながら、
行動を起こそうと。

「自覚のない本人たち」はもうすっかり中間管理職前の私が、
どれほどの正統派・隠れ問題児だったかを忘れているらしい。
本人の承服など求めておらず、去るか残るかの選択肢を渡したに過ぎず、
これも理解されず。転げ落ちるときは勝手に奈落まで転げ落ちていくとは、
こんなときに見れるものなのだなと遠目にみる。
芋づる式に「リーダ格」も転げ落ちていくことを期待している自分がいる。


暴れるときは「楽しく、潔く」そして周りからは
「容赦なく」みえる楽しいパーティをするのがモットー

わがままをいう相手を誤ったのがすべてのはじまりだね、
同情なんてするんじゃなかった、
だから今から好き勝手してくれた分、思い切って一掃するよ

と久しぶりに悪い笑みを浮かべてみようかと思う。

 

産後の私に伝えたいことが一つある。

今回の仕事を終えたとして、
気を許してまた同じ職場で今回の「主犯」と「その一派」と
働こうとは思わぬこと。搾取され、いいように使われ、
2次災害がまた発生する。
あれもこれもできないから「お願いする」人、
「学ぶことをしない」残念な人とはおさらばすることだ。

「主犯」に対する他者の評価がどうあれ、必ず同じことが起きる。
わがままをいうのは産後だろうと母になろうと変わらない。

これは私自身も言えることだ、二度と同情はしてはならない。
これは他の信頼する仲間に非常に迷惑をかけて得た、「教訓」である。

 

-End-

余裕が出てきて想うこと

22週目を迎え、日常が戻ってきた感じがする。

日常が戻ってきたことで、電車なかでの話し声や雑音、
家の中の何度も繰り返し夜中に流れるWinning Eleven 2009のゲーム音声が
かなり耳障りになってしまった。

多少なりとも余裕が出てきた、ということだろう。
耳障りだ、と思うとお腹が張るらしい。
音を遮断するなら耳栓だが、リラックス効果を高めるなら音楽
Spotifyで音楽を聞くことにした。

 

よくよく母の行動を思い出した。
FMラジオを聴いたり、宇多田ヒカルを聞いたりしていた。
年明けにクリアした、キングダムハーツ3のテーマを選曲。
「誓い/Don't Think Twice」を聞きながら、あぁソラ。。。と
少し感傷に浸りながら、毎日通勤している。

おかげでそこまでお腹が張らず、比較的良好である。
あとは夜中に聞こえるWinning Eleven 2009のゲーム音声と
寝落ちしたあと、放置されるPS2カリカリいうディスク音問題だけだ。

 

今月末にはペルソナ5Rが発売されるので、
購入すればPS2の利用率は激減し、この悩みは一時解消される。

もうそろそろ寝落ちするくらいなら、残業切り上げて
早くゲームしに帰ってきてほしいものだ。

もやもやの理由

入社して、7年が経過した。

入社当初、私はどこか潔癖なところがあったと記憶している。

 

同僚の言葉遣い、やり方、捻くれた考え、
どれもこれも、真似したいものではなかった。

早くこの場所から、この環境から離れたいと願った。

離れるためには、一人前になる必要があった。

新人を育てて、早く別の環境へ身を移したい、そう思っていた。

 

8年目を迎えて、

ふと入社当初の気持ちがよみがえってきた。

きっと気分を害する言葉を言われたのが、きっかげだ。

 

前向きに、前向きに

捻くれた世界の色に染まらないように距離をとって

早くこの場から離れよう。

 

また離れようと思ったのは、

せっかく上ってきた今の場所も、捻くれた世界になってきたからだ。

つまり、上のレベルもこの数年でレベルが下がっているのだ。

 

出張、異動から戻ってきて、心機一転する機会があったので、

これまではやり続けてこれた。

最近外出を多くし、息をつないでいる。

ただ、もうそろそろ潮時だろう。

 

環境を変える、やることを変える、付き合いを変える

また旅立ちの日が近い。

 

 

誰かの代わりになんて。

「彼の技術レベルなら、うちの部員が代わりに対処できる」

私の部員についてそう言われて、かちんときた。

技術レベルだけで、容易く人の代えが効くような言い方をされた。

 

そんな物言いをする人が上司なのだから、
過去何十人と離職し、そのうち1名がうちの部に異動してきたのではないか。

 

そう言い返したくなった。

技術レベルだけならば、代わりに対処することは可能かもしれない。

しかし、あいにく、彼がやっているのは「技術」だけではないのだ。

私たちの仕事の主な内容は「電話業務」である。

簡単に「できるだろう」、という人もいるかもしれないが、

1. 正確に、処理をしていく

2. そして電話を取る

3. 時間をコントロールしながら仕事を回す

 

「電話をあえて取らない人」は正直、今の現場には要らない。

また「電話は私の仕事ではない」という人も

「誰かがきっと取ってくれる」という他力本願な人も要らない。

 

おおよそ先方の残す人員というのは、コントロール側に回ってきた人が大半で、

私たちコール側に「その先の指示をして」きた人たち、

また「文句を言ってきた」人たちである。

その人たちが、率先して私たちコール側の仕事をするだろうか。

 

また、技術的にもすぐに上回るのだろうか。

ただ上の連中が決めたことに従って、いざ業務にあたり、
あまりの煩雑さに目を回して、早々にギブアップ宣言しないだろうかと、
先方の部員たちとはいえ、今後が少し心配である。

 

できて当たり前、という上司たちがいたとして、
その上司たちは彼らと同じ業務をこなすことはあるだろうか。
これまで数年いた上司として居座っている人たちは、
その姿勢を見せることはなかった。
同列でいるのに、出勤して最終人員になるのは自分だけだった。

結局、みな口でいうだけで、自分がかわいいのだ。

休日出勤、上等。経験を積むのが最善。
おかげで想定していたスピードで給料も上がり、現在に至る。
自分がかわいい人たちなど相手にせず、邁進する。

 

昔、アルバイト時代の上司に言ってもらってうれしかった言葉がある。

「クルーとして代わりをする人はいるかもしれないけれど、

 〇〇さんというクルーの代わりはおらんのですよ」

 

私らしい仕事は「私がする」から私の仕事なのだと。

アルバイト時代の上司のように、人の個性・特技を活かす上司であろう。

それが今できる道だと思う。

 

5月病

私は、まんまと5月病にかかっているのかもしれない。

I might be "The May blues".

毎年そうだったかというと、そうではない気がする。

I feel like I have had "The May blues" every year. 

 

去年と今年の違いを考察してみよう。

Let's consider the difference work-load between last year and this year.

  1. 人の入れ替わり(ブラックボックス化していた人がついに他部署へ異動)
    Personnel changes (A man whose works is like a black box is moved to another department. )
  2. ブラックボックス化していたグループのメンバーの退職
    Retirement of some menbers belonging to his team.
  3. ライフイベントの発生による離職
    Retirement for life event and her works was also like a black box. No one knows her works. 

通常業務に加えて、これらのイベントの影響が大きいと考察している。

I am considering those events are huge impact includes normal works.

加えて、「英語が書けない」「話せない」「表現できない」を都度指摘されることが、精神的負担になりはじめている。

I have a point out everything I wrote like "your writing is terrible", "your communication is not communication", " Unclear expression". It makes me be a mental burden.

 

「他人と比較したらあかんで、かいちょー」

"Don't compare with another." 

その言葉を思い出して、東京で頑張ってきたが、

I remember those words every time and try to do my best in Tokyo. 

 

"Your English skills are the worst in our team even if you are a leader in our company."

I feel it is stupid I work here as a leader.

However, my English skill level he said is a fact of me. 

 

「あなたは会社の中ではリーダだが、チームの中で、一番英語が弱い」

とまで言われてしまうと、

「自分がやりたいこと」を半ば後回しにして、ひたすら仕事をし、

「チームの方向性」「生き残り」をかけて、

「組織」の情報収集屋として

「リーダー」の立ち位置に上り、

立ち回ってきた自分が阿呆らしくなってきた。

 

ただ、

「あなたは会社の中ではリーダだが、チームの中で、一番英語が弱い」

という事実は変わらない。

 

人には1日24時間ある。

笑うも泣くも、自分次第である。

誰かの評価や社会的評価のためにリーダになったわけではない。

キーパーソンがいて、その人に仕事が偏っており、

このままでは、働く場所さえ危うくなる、と思ったからリーダになった。

 

元来、やりたいことに熱中するのは私の習性である。

複数のことを持ち、対応することができているように見えるかもしれないが、

スタック量と短期記憶・忘却が少し早いだけだと思う。

1つこなしていろいろホールド、タイミングを見て動かす。

接客業経験のたまものかもしれない。

 

 

ちょうど2015年の7月頃、新大阪駅で買い、東京に着くまでに読み終えた本がある。

さすがにここまで酷くはない。会社はホワイトに近いグレーだ。

部署としても、限りなくホワイトに近づいているが、それは人による。

 

心身共に衰弱する状況になった私の例:

日曜:休日出勤 12時間労働→特に問題ない

月曜:通常出勤  8時間労働→特に問題ない。就業時間終了間際にトラブル発生、残業。

火曜:振替休日返上、午前休。朝、別件障害発生。

   朝ごはん中に障害コールあり。そのまま障害対応へ駆けつけ。

   月曜のトラブル対応、進行しはじめる→特に問題ない

   昼過ぎ3つ目の障害対応発生。上司にフォロー依頼。

 

複数の仕事をホールドしながら、

障害対応をしていたときに書いた英文に対して、

It does not make a sence. と立て続けにチャットが飛んできた。

「何度言ってもひどい英語」と残念な顔をされる日々。

少しは他の仕事もしてよ、と言いたくなるが

「それは〇〇さんが頑張っているよ」と言われる状況。

まるで「それは私の仕事ではありません」と言われているような気分だ。

 

目の前には、まったくネットワーク接続できないお客様のPCと、

マウントされたネットワーク機器たち

 

凍えるほど寒いのサーバルームの中で、

私の英語が悪いのはわかったが、今はそこの解決ではなく、

お客様の仕事環境を治すのが先決。

「自分が英語を書くたびに、

そのメールを送られた人に迷惑をかけていることを自覚しろ」

とも言われた。確かに人の時間を奪っている。

 

ただ、仕事をしたいだけなのに。

いい仲間に恵まれ、いいお客様に恵まれ、

なのに、私が英語がひどいために言われる言葉に耐え切れず、

私は今、仕事をやめたくなっている。

 

時間的に余裕のない今の仕事を続けて、

現状を打開できるだろうか。

 

honto.jp

 

この時も、そういえば同じくらい苦しかった。

 

honto.jp

29

このブログも28→29へカウントアップしました。

 

新人教育に時間を費やした本日、残務を持ち込みひとり星野珈琲の日です。

22歳の新入社員時期を思い出し、もう会社勤めを7年しているのだと、はっとします。

お客様とお話すると、10年なんてあっという間よ、

とともに「またぜひお願いしたいわ!」と温かいお言葉をいただき、

成長を感じられる日々です。

 

自分を他人と比べてはいけない。

19の頃に先輩からご指導いただいた言葉。

今も立てているのだなぁと感謝することが多いです。

 

人様を見ても、比べず独立独歩、

今の私がまっすぐ歩けているのは、

これまで関わったみなさまのおかげだなぁ、

と思うのです。

 

振り返りをしつつ、時折、29の1年を綴ろうと思います。

 

22

ホノルル − 旅の記録

3泊5日のホノルル旅行に行ってきた。

金銭的にも、体力的にも

3日間という初ホノルルの相棒にとっては「ちょうどよい」期間だった。

私は17以来だから、11年ぶりだ。

アナザースカイ的にいうと、

現在の私になる原点回帰の場所、ホノルル、である。

 

トロリーに乗り、左は出雲大社、右はダイヤモンドヘッドまで、

LeaLeaトロリーでぐるぐる巡った。

 

だいたい前回の来訪も12月の第2週目だったと記憶している。

庁舎の前のサンタクロースと夫人、大王像を11年前は、

バスから眺めたことをトロリーから眺めて思い出した。

軒並みにABCマートが続いており、間に露天商の場所が挟まっていた風景を

トロリーから見て、ダイヤモンドヘッドを目指している最中に、

11年前泊まったホテルは、おそらく、

海沿いの動物園や水族館がある側のホテルだったことも思い出した。

 

カラカウア通り沿いだと思っていたが、

どうやら少し離れていたようだ。

カラカウア通りを覚えていたのは

「Tギャラリア」で買い物を楽しみ、免税バックを持った同級生を見て、

自分には遠い話と思いながら羨ましく思っていたからかもしれない。

 

11年後に結婚して、新婚旅行に来るとは17の私は

きっと予想もしていなかっただろう。

当時は、

大学の進路をどうしよう、とか

人と関わり、仕事をして生計を立てていけるかどうか、とか

これが、深刻な悩みだったろう。

人生はわからぬものである。

 

簡単に3泊5日の行動記録を記載しようと思う。

 

1日目 すこし肌寒い

約7時間の飛行機移動の末、

朝7時過ぎにホノルル空港に到着。

旅行会社の団体バスに乗車し、ワイキキ市街地へ移動。

 

トロリーに乗り込み、出雲大社に参詣。

ダウンタウンの向こう側にあり、

海とか砂浜とかさっぱりないことに驚いた。

 

トロリーに乗り込み、ぐるりと一周。

アラモアナショッピングセンター下車。

昼食:POKIをシェア

Macy’sでサンダルを購入。

道すがら、珊瑚柄の赤いワンピースを購入。

トロリーに乗り込み、ロイヤルハワイアンセンターへ戻る。

ホテルにチェックイン。

夕食:インターナショナルマーケットプレイス イーティングハウス1849

46ドルほどの骨つきステーキをシェア >>お腹いっぱい満足 

 

 2日目 少し肌寒い

朝食:ロイヤルハワイアンセンターのアイランドビンテージコーヒー

オリジナルアサイーボウル

ジンジャーチャイラテ

 

トロリーに乗り込み、水族館へ。

小学生の遠足日だったらしく、ヤドカリとウニを触れる体験をさせてもらえた。

 

トロリーに乗り込み、ぐるっとダイヤモンドヘッド通過、

カハラモール下車。ホールフーズが人気らしく、お買い物。

 

昼食:タコベル @カハラモール

タコスとナチョスのコンボをシェア

 

トロリーにのりこみ、ロイヤルハワイアンセンターへ戻る。

ABCマートでお買い物。お土産の大半はここで購入。

 

LeaLeaのラウンジで、翌日のオプション探し。

他の島へ飛び、夜空を見るツアーに行きたいという話だったが、

2日前に枠をキャンセルし、取り直す必要があるらしく、

今回は満席で断念。

 

ダイヤモンドヘッドの朝日を見るツアーか、

潜水艦で深海30mを見るツアーかを考えているときに、

タイムシェアのエージェントに声をかけられた。

今回はディズニーや海、というよりも、ゆっくりしたかったので、

潜水艦のツアーを選択し、予約。

 

夕飯の時間まで30分あったため、ロイヤルハワイアンセンターの

ティファニーへ。イーストウエストミニのティファニーブルーカラーを購入。

 6ヶ月前に発売されたらしいが、あまり在庫がないという話を聞き、即決。

クッキーがとてもおいしく、ギクシャクしていた相棒との会話も良好に。

滞在時間20分、10分で会計から梱包までしていただき、

大変申し訳ない気持ちになったが、

顔色ひとつ変えずにてきぱきと、笑顔で対応してくれた、

サミーに感謝したい。

 

夕食:BWTのエージェント山口さんと待ち合わせ ルースクリスまで案内してもらう

ディナーコース(飲み物は別料金のため、注文せず)

相棒いわく、上品なリブロースらしい。

マッシュポテトとほうれん草のソースがグラタン皿いっぱいに出てきて、

驚いた。

ほうれん草のソースが絶妙で、ほうれん草スープを作りたくなった。

 

BWT山口さんとTギャラリアの喫煙所付近でピックアップしてもらう

タンタラス夜景ツアーへ。

ハワイ、ワイキキのワイは水という意味らしい。

 

縁があるらしい。

水に関わる場所や空気の澄んだ場所に行くと昔からとても心地よい。

 

感情というものが薄れてくることに気がつき、

それに歯止めをかける、これは本来の自分とは違うと思う、

おそらく私は今まで苦しいと思わず苦しんでいたのだと、

山口さんのお話を聞いて気がついた。

 

夜景はシャンパンゴールドの光がいっぱいで、

夜空からは星が見えた。

 

3日目 少し肌寒い

朝食:ロイヤルハワイアンセンターのアイランドビンテージコーヒー

リリコイ モアナ ボウル

ジンジャーチャイラテ

 

ささっとTギャラリア横の待ち合わせ場所へ移動。

アトランティスのバスへ乗り込み、

ヒルトンハワイアンビレッジの辺りの海辺に到着。

日差しが出ており、暑さを感じた。

これが本来のワイキキの暑さかもしれない。

潜水艦アトランティスの場所まで、クルーザーで移動。

クルーザーから海を見下ろしたところ、

亀が顔と両前足を出してこちらを見ていた。

次に振り返った時には姿が消えていた。

スカイブルーだった海の色がエメラルドグリーン、群青色に変わる様を見た。

 

潜水艦へ乗船。人工漁礁に群れる魚たち、亀を見た。

水族館とはまた違う趣のある場所だった。

相棒はとても嬉しそうだった。

潜水艦もそうだが、クルーザー移動が予想外にあり、嬉しかったらしい。

 

昼食:モアナサーフライダー ザ ベランダ

ピニャコラーダ

エッグベネディクトが食べたいという相棒の希望からザ ベランダへ

パンケーキは2名以上でシェアしたほうが無難

2品頼んだだけで、満腹に。

 

モアナサーフライダー ザ ベランダの空間は、

とても居心地が良く、相棒も気に入ったらしい。

海辺が近く、樹木が生い茂っており、鳥の鳴き声がする。

帰り道に付近の砂浜を裸足で歩いた。

この砂浜と海辺が、いわゆるよくみるハワイの海辺なのだろうな、

と理解した。 

 次回は、海辺のホテルも検討しよう。

 

ホテルに戻り、運動靴に履き替え。

 

ぎりぎりの決断だったが、ダイヤモンドヘッドハイキング決行。

トロリーに乗り込み、ダイヤモンドヘッド登山口へ。

登山料 1ドルを支払い、ハイキング開始。

40分で片道を登り、30分で下山する計算で、

ぎりぎり最終トロリーに間に合う計算だった。

ペース早めで必死に、登った。

道中、下山途中の杖をついたおばあさんから、

Have Fun!と笑顔をいただいた。

 

空気は綺麗で、気分は爽快だ。

日頃汗をかかない生活をしているので、

とんでもなく汗だくになった。

20分早く下山でき、トロリー乗り場で最終トロリーを待った。

野良猫がいっぱい草むらにいた。

 

スコールを浴びながらトロリーでロイヤルハワイアンセンターへ戻る。

LeaLeaラウンジで、夕飯を検討。

初日の肉が美味しかったらしく、もう一度食べにいくことに。

ロコモコを食べたいという相棒の希望も叶うらしい。

 

夕食:インターナショナルマーケットプレイス イーティングハウス1849

ロコモコが夕食メニューになかったが、お姉さんに相談したところ、

シェフがOKしてくれ、注文できた。

一番高い骨つきステーキ肉は、今回カットしてくれ、食べやすかった。

チョコレートスフレという名のフォンダンショコラを堪能。

 

ABCストアで100ドル購入特典でマグカップをいただき、ホテルへ戻る。

 

4日目 少し肌寒い

朝食:ロイヤルハワイアンセンター アイランドビンテージコーヒー

ハウピアモアナボウルをシェア

ジンジャーチャイラテ

フードメニューは7:00スタートらしく、

出発時刻が8:00であることから、食べられず。

 

3日通してアイランドビンテージコーヒーを朝食に選んだが、

近場でとても過ごしやすい空間だった。

かなり混雑しているときは、番号を呼ばれたら、

取りに行く方がスムーズだった。

 

ホテルをチェックアウトし、集合バス待ち。

待っている間、同じバスを乗る日本人観光客と遭遇。

時間になっても来ない車を待ち、道路沿いに立っていた。

タクシーが何台も止まっては、旅行会社の車かと尋ねられ、去っていった。

 

その光景を見ていて、言葉は正確に通じたほうがよい、

というよりは、言葉も大切だが、

しかしその土地の慣習やマナーや、

カルチャーを学ぶことが必要なのだな、と痛切に感じた。

知っていれば、焦ることもなく、待つ。

例えば、集合場所はホテル正面玄関だとしても、

集合バスの止まる場所は、

3分だけ一時停車を許可されている場所であることもそうだ。

 

道路標識を見ればわかることだが、

旅慣れしているか、状況察知能力があるかが問われる上、

似たような目に遭っているか遭っていないかで、変わってくる。

例えば友人の車の停車場所に困って停車場所探しに標識探しをしたり、

スーパーに行くためにバスを電話で呼び出す生活を数ヶ月味わったりすると、

だいたい予想がつくのかもしれない。

 

留学しているときのサマークラスで

アメリカのカルチャー研修があったが、

あの当時はあまりためにならないと思っていたことも、

ここらへんで活きてくるのだと反省した。

それと同時に、英語を話せる自分を旅に同行させたい、

両親の意向もよくわかった。

ここらへんの理解というのは、

やはり学び、理解して初めてわかることなのだろう。

 

よい経験をさせてもらえて、両親には本当に感謝である。

経験とは人生の財産である、とはよくいったもので、

19の頃の半年はかけがえのない人生の転機となった。

 

その転機を作ってくれた原点、ホノルル

昔と雰囲気が変わったと思ったのは気のせいではなく、

ガイドさん曰く、治安は少々悪くなったらしい。

 

11年前に気がつかなかっただけかもしれないが、

浮浪者をよく目にした。

その光景は、昔よく目にした

公園のブルーシートを思い出させる。

幼少期の大阪の光景を思い出した。

よく通り過ぎるときに祖母から、

「目を背けず、よく見ておき」

と言われたものだ。

その言葉から、

ホノルルを旅した祖父母の写真を思い出し、

祖父の葬式で写真が投影されていたことを思い出した。

 

原点回帰 –  ホノルル

忘れていただけで、縁 のある場所だった。