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ALWAYS the way to go your way

すべての物事には意味があるということ

楽しいことが大好きです。
世間とは区切られた夢の世界で、
いっといでーと言われるのが好きでした。
夜の始まりと終わりが見える中間地点で、流れ星のようにボールを飛ばすのが好きでした。

あの環境がとても心地よかったのです。


12月、確かに私はさようならと言いたくなったのです。
何とか気を紛らわして楽しみました。

4月、酷くキツくなり、仕事での振る舞い方に物申したいから会いたくないと言われました。

プライベートではなく仕事中の私を否定されました。これは正直、「女の子はおしとやかに穏やかに慎ましくするもんだ、なのに?」と言われた気分でした。

そんなことをする会社ではないのに、そんなことをいう人が新参者だから仕方ないといえば仕方ないな、と思いぐっと堪えました。そう「振る舞う」ように堪えました。
ただそれは私ではなく、私の顔をした作り物です。それを見て、好きなどと言われるのは真っ平御免、私は自分を制御し1ヶ月を過ごしました。

それが普通、標準、あるいは元の穏やかな人に戻ったと認識されたのでしょうか。何故か私が仕事を終えるまで職場、それも私の後ろで待ち続け、帰らんのかと催促し、仕事も終わりそうにないので仕方なく切り上げ、上がったのです。夜道、久しぶりに何処かに遊びに行こう、そう言われました。

疲れ果てても私はエンターテイナー、その場でどんな答えがお望みか、お応えする経験値は持ち合わせていました。

「どこいく?」
どこへでも、そう言われました。

正直、何処かに行きたい、行きたい場所を決める余裕は今の私にはありません。プライベートを構えないのです。
そして、人によっては私は所詮見せかけの人形かロボットでしょう。それはダメだよ、それだけではなく、何故ダメなのか諭されることなく、「会いたくない」と言われたのです。仕事でそれを求めるのは傲慢、求めるべきものではありません。しかし、プライベートで仕事の振る舞い方に物申したい(不満がある)からしばらく会いたくない(逃げられた)のです。近寄ることも、話も聞けず、距離を置かれました。とてももどかしかったです。

もどかしさが勤務に影響を及ぼさないように、記憶に鍵をかけ、心も閉じました。その矢先、大学の恩師の訃報が届き、閉じたことさえ忘れて、恩師のことで頭がいっぱいになりました。

なさけないな、情けないやつと付き合ってもええことないで。

たまに思い出すくらいでええから、もっと世界を見て広げ〜。そんなわからん阿呆、構ってやんと。


世界、広げる、自由、束縛は嫌い。

恩師の訃報、バケツの冷水を顔面から直撃した感じです。声が色々聞こえてきたのは、記憶から読み込んだのだと思います。目が覚めた瞬間でした。

つづく。