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ALWAYS the way to go your way

9/13 music remind me the past...


バンコクとの時差はー2時間
現在19:00(21:00-JST)

東京からバンコクまで5時間
機材到着遅れから出発時刻が30分遅れ、到着時刻は22:10(9/14 0:10-JST)

USB充電ができる3-5-3シートのエアバスであったことに感謝。お陰でiPhoneを機内で充電できる。

インターネットに繋がらない時間が長いため、いろんなこと一気に思い出され、upsetしてしまった。

24から19へ遡ったり、
そもそも小さい頃は、外の世界にも、ましてや周りさえ気にしていなかった。外国で働くとか、まさか私はずっと日本から出ることなんてないわ、とか思っていた小中学生。

17歳のハワイへの卒業旅行かなり触発されて、大学入試では英語の点数が一番悪く、志望校はほぼ全滅。滑り止めで受験した桃大になんとか合格した。
とんでもなく悔しい思いをしたのは、一生忘れないだろう。

アルバイトもせず、漠然とカリキュラムを組んで、いち早く卒業できないかと前倒しで授業は取った。
留学講座を取ったのは、英語の壁を越えなければっと思ったから。
行こう、ましてや行きたいとは全く考えていなかった。
大学1年生の夏休みがあまりに長過ぎて、高校の英語文法からやり直した。
スーパーでアルバイトも始めた。

留学を思い始めたのは4年間の計画を立てたときだ。TOEFLiBTでスコア64を取れば、経済学部なら30単位(半期分)を賄える。

ただ英語だけではない。図書館司書も何か為になることはないか、経済学も始まりの部分しか知らない大学1年生だけれど行ってみる価値はあると大学1年生10月の私は思ったらしい。

大学父へ交渉、選考通過すれば借金をして渡航して良いことになった。

問題は選考だ。ちょうど枠は大学2年生の文学部の先輩が行く気満々で、10数名の枠の為に争うこととなっていた。
1学年上の先輩方を差し置いて、行くなんて…少し気が引ける思いだが、私も人生がかかっているので、譲るわけにもいかなかった。

TOEFL ITPで高得点の順で上から決まって行く選考スタイル、無事選考を通った。私の他に本当は大学1年生で通過者がいたが、辞退したため、その枠では実質1名08E生が混じっていたのを覚えている。

大学1年生終了と同時に米国ミズーリUCMへ留学。
この経験が人生に与えているインパクトは言うまでもなく大きい。

特に住まいもトラブル解消も、授業でのディスカッションも、声かけられた時の対処法もこの時身についた。
日本語でも経験のないことを英語で終わらせた。

帰国後、雰囲気が変わった、偉そうになったとか自信があるように見えるとか、そんな声を聞くことが増えた。

これが19歳の大きな変化である。

それからは、勉強もアルバイトも、日々予定のない日はないほど詰め込んだ大学生活を過ごした。

かつてアルバイトが現在の業務への取り組み方、考え方に活きている。これは、各方面、私を指導して下さった方に感謝してもしきれない。

書ききれないほど、見にしみていることが多い。

お陰で、新入社員で入社して、あっという間の2年を過ごした。本当にあっという間に。

入った部署も楽しく、一癖も二癖もある仲間に恵まれている。楽しい上司に見守られ、話も聞いてもらい、泊まりで仕事するなんてことをして、心配をかけてしまったこともあったと思う。


いろんな人と知り合いになり、外にも出させてもらえるようになり、フォローしてもらい、今や自分の立ち位置をどこに落ち着かせればよいか悩むところに至る。

「他者を思いやる」
「人の身になって考える」
「楽しくする」


振り返ると、2013年の悲しい出来事が頭を過った。
村瀬先生の急逝、祖母の病状悪化と他界…

悲しみが続き、慌ただしく、仕事で気を紛らわそうとしても紛らわすこともできず、今回の出張も、飛び上がって喜んでくれるだろう、村瀬先生はもういらっしゃらない。せめて良い方向に進むよう見守っといてや!と空に向かって叫びたいくらいだ。

祖母は、出張にいくんか、まぁ、と言って、きっと目を丸くして喜んでくれるだろう。xxちゃんなら絶対大丈夫や、といって。

そう。もう前に戻らず、進まなあかん日が来てるんや。

もったいつけずに、進む。
可能性を広げる。大胆に。

19歳の私から5年、これが24歳の私の課題であり、越える壁である。