襟ぐりに輝くもの
頂いたネックレスをたまに身に着ける。
本当は毎日つけたいところだが、遠慮している。
自由奔放な私は、ネックレスをつけない日が多い。
入って間もない。その時期は過ぎたかもしれないが、まだ短すぎる。
人の目も気にしている、ということもある。
しかし、そもそも窮屈に感じたら、外すのである。
自由奔放、気が向くままマイペースな人間である。
私に輝くものをくれた彼には申し訳ない気持ちであるが、
心にのんびりが欲しい。余裕が欲しい。
窮屈さを感じて、小物入れに閉まった週もあったのは知らないかもしれないが、
確かだ。
遊びに行こう、というお誘いも「疲れているから休みたい」と断ったのも心が疲れていることが挙げられる。「きぃつかいい」という他人によく気を使う人を指す言葉があるが、自分で言うのも何だが、「きぃつかいい」である。
事前予測で自分の許容を越えた場合、簡単に「OUT!!」を示す。
今回お断りしたのも、「ついていけない、話を聴ける余裕がない」が理由である。
時間と共に仕事は移り変わっていく。手に取るように見えるものを、見えるひとと「見えない人」がいることは仕方ないことなのかもしれない。私の人生の相談役に相談したことがあったが、「見えんやつにに何をゆうてもあかん。ほっとき。」ついでに「生まれた瞬間に何かしらは決まっている」とのことだ。だから私の生きる道筋はある程度決まっているらしい。あとは、私が選択するだけだと。
そんなこと、亡き祖母も言うていたような。
飾りじゃないのよ私は。
どこからか、そんな声が聞こえた。まるで私の心の底からの声のようだ。
きっとそんなつもりではないのだ。悪気はないのだ誰も。