今の私はちっぽけだ。
いつだったか、恩師と呼べる方にきいたことがある。
『この4年という限られた学生生活の間に、師と呼べるひとと何人会えるか...きっと自分にとって師と呼べる人なんて逢えたらラッキーで、師である思える人なんて指で数えるだけしかいないだろうよ。俺なんて数えてみたら3人いたかなぁ』
その方も4年という限られた学生時代で出逢った数少ない、私の恩師である。
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2013年5月5日
こどもの日、端午の節句だった。
この日、恩師がこの世から去られた。
知ったのは、翌日の夕刻であった。
先輩から珍しくお電話、先生の訃報だった。
先生を偲び、学生時代の波乱を思い出すと、先生が亡くなった日に、くよくよ悩んでいたことが酷くちっぽけに思える。何より、「そんなことで悩んでるん、あほちゃう」と笑いながらどキツイ声が聞こえてきそうだ。「世界は広いで、○○。そんなわけわからん奴なんてほっとき」と、きっと人生相談の回答付だ。
その声がもう聞けないのは、とてもさみしい。
パワフルで元気な先生に名前を読んでもらえないのは、本当に悲しい。
もう隣の席で世間話できないのは、本当に悔しい。
ただ、先生には多くの教え子がいる。
先輩のようにはまだうまくいかないが、
もう少し経験を積んで、先生のように、人に良い影響を与えれる人になる。
そうやろ、先生。
今日、顔は合わせにいかれへん。今夜は、飲ませてもらうで。
でもな、そうやって飲んでたら、何か声が聞こえてきそうな気がするねん。
「そんなんしやんと、寝。勉強するんやったら、勉強しい!単語や!」
ほいっと、単語集4000語を渡されそうや。すみません、私もやってません←
教え子は、たまに先生のこと、おかん、っていうてたけど、私もきっとそうなんやろうと思う。本当に子どものように成長を見守って、時に叱り、時に人生相談につきあってくれて...だから私は先生に会って、「先生」という概念を見直した。
こういう人を本当に先生というんや。
先生を超えているかもしれない。師匠だろうか?
「泣かんと、ほら」
やっぱり、先生の声が聞こえる。
先生から受け継いだもん、次に引き継いでいきます。
見守っててくださいね。
ありがとうございます.