真夜中行進曲
Goosehouse#10をローソンで受け取りましたっ!!
わーいヾ(*'∀`*)ノBitterも同じタイミングで予約したけれど、
Milkしか手元に届かなかった不思議。別注したのが原因....
働いた甲斐がある!このために働いてきた!
そのくらいの勢い、違う意味の熱中症
今日は久々に働いた感のある1日だった
それにしてもおかしいな。
丸1日、会社で働き続けることが働いた感じがするってことで、働いた感じがするってあたりがおかしいな。
数年前の状況を思い出すあたりおかしいな。
急激に成長、急激に増える、終わらない日々、それが潰えた1年後...
暇になったことがなかったことは事実...
暇ではないけれど、自分の2年半を振り返り比較的今考える時間が持てると思える。
残念な日々、残念な生活、残念な起床時刻の遅さ
これをもう一度もともとの状態に戻す必要がある。
この2月大きな挑戦を始めた。
1年間でPing-tの掲載資格を全て取る。
取れないならば、そこが私の技術の限界だと割り切り、「選択」をする。
その選択は書かない。英語を習得したときと同じ状況である。
後がない状況を作り出す。
そう、後がないのだ。それを自覚する必要はある。
もう1つ挑戦がある。
2014年、「自分には自信がない」、「素質が欠けている」、「あの人がやりたいといっているのに私が勧められる理由がわからない」、「人の目を気にして逃げていた」...件に対して逃げない。
もう逃げる理由もない。この2年半はなくなりはしない。
人の目を気にして、空気読んで、よかったこともあるがそれでは正確な情報、情報が足りない。
一つ言うと、理由がわからない訳ではない。他人に与える影響や危険性が予見されるから、怖くて逃げた。しかし、人の裁量についてこの数年少なくとも見ていて目は更に鍛えられ、本当に一緒に働きたい、ここで逃してたまるか!と思ったときは必ずなにかしらしてきた。それが、意図しないところで作用する可能性がある。そのリスクが見えたから怖かった。
0か1かという人間になる可能性がある。0.1は考えられない。これまでのように、限りなくグレーという状況ではなく、白か黒かをあらゆることに当てはめる可能性がある。違うことをわかっていても。
親身になればなるほど、熱をあげるほど、その傾向が強くなる。
それが懸念事項であり、周囲にこれまでどおり接することができるか不安である。
ストッパーを複数探していて、ようやくここ数日でもう1つ見つかった。
あとは、やりたい人がいるのに、先に手を挙げるか。やりたい人にしてもらえればいい、もっとふさわしい人がいる。私がやることで困る人も出るだろう、そう思っていた。
しかし、もしもあの時私が○○だったら、という件が多い。判断材料が今のままでは足りない。フォローするための情報さえ足りない。
情報があふれているのに、必要な情報が手元にそろわない、枯渇している。
情報に私は飢えている。
そのもしもあの時私が○○だったら、が後悔から絶望にならぬうちに、私はそれになる必要がある。
よく会社を歩いているときに考える。
一歩外を歩くと色んな人が歩いている。色んな人が声をかけてくれる。
でもなぜ、普通に問題なく働けるとされる人が挨拶が控えめなんだろう。
疲弊しきっているからだろうか。
限界を知らないからだろうか。
充実感がないからだろうか。
まるで私のようだ、と前を向いて歩いているとそう思った本日
何か1つでいいからアクションを起こせば、変わる可能性があるならば、起こす。
これが今年のアクション...
あとは、この言葉
他の人と比べたらあかんで、かいちょー
この言葉は我に返る私の支えになっていること、間違いなし。
かいちょー、他人と比べずに進む、進む。