何になりたいのだろうか。
主語をつけよう。
私は何になりたいのだろうか。
真似をして生きてきた。
こうなりたい、を決めて生きてきた。
完璧は目指さなかった。
あくまで私だから。なりたい私を演じている。
傍観している人生は嫌だと小学5年生で思った。
なんで口に出さないんだろう、積極的な友達がうらやましくなった小学4年生、
ガラッと教育方法が変わった小学3年生、私は手を挙げることをやめた。
聞きなさい、やりなさい、ここはこうでしょ、
その指導法についていけなくなって、傍観者に成り下がった。
受身人生が始まったのが小学3年生だったとして、
私に転機が訪れたのは、留学であるのは間違いない。
高校受験、大学受験、後悔がないといえば、嘘だ。
後悔ばかり、受験には後悔は残る。
ただ、その後の高校生活、大学生活に一切の悔いはない。
吸い込まれるように、学生生活を謳歌した。
友達もできた。
就職活動、後悔はない。
今まさに働けている。新卒が3年続かないというなか、
私はあと数ヶ月でその3年を超える。
苦い経験がないかといえば、今が一番苦いところかもしれない。
若い、本来組織のなかでは若手のはずなのに、中抜けが顕著なため、
若手さえも部署に3年いれば古い扱いになる。
それは果たして、若者に耐えられるか、といえば、人によるだろう。
耐える、というのは言い方が悪いかもしれないが、
それをいとも簡単に熟す人もいる。
本来の組織では近くにいるはずのない、
本物の熟練者が今は近くにいる。
私は無理、というのは簡単だ。
ただそこでゲームオーバーなのはわかる。
そこで自分の限界を定めないでほしい、誰かも言っていた。
そこで自分の役割を決めてしまっては、先がない。
さて、そこで問題である。
昔から、なりたい人を模倣してきた私である。
やれることは目の前に山積している。
かの熟練者と自分との差分の洗い出しはいつもしている。
さすがに年齢は越えられないが、できることを超速でやる。
これで、私は何になるのだろうか。狐狸の類ではなく、化物だろうか。