2016年の抱負 「白黒つけるぜ。」
心の内に秘めた抱負、ステッカー選びで2016年の抱負を決めてみました。
選んだステッカーは、
「白黒つけるぜ。(パンダだけに)」
2015年・その前から
私の周りは、グレーゾーンが多く、それとなくこなすことが多かったのです。
何となくできたこと、それとなくやってのけたこと
これ、実は素養によるようで、私にできることが必ずしも他の人ができるとは限らないのです。
2015年は、良くも悪くも、そのことがよく実感できた年でした。
強力な指導者も現れ、先輩となる人も現れ、目標となる何かも出てきて、
めくるめく日常に体が追い付かず12月は小さいものから大きいものまで
病に伏せることになりました。
居てほしい人はこの世を去り、世代交代を目の当たりにし、
小学生に見た「こわいゆめ」
≒「あってほしくないけれど、時の流れに逆らえず必ずやってくる現実」
が現実となりました。
しかし、「こわいゆめ」に対して、
それなりに準備をしてきたおかげもあり、
今まさに前向きに歩まざるを得ない状況が目の前に広がっています。
よく私は自分の行動を逆手にとり、
未来の自分が「逃げずに、立ち向かえる」環境にいるように今の自分の選択をします。
これまでの留学然り、上京然り。
留学は、
- 英語という欠点克服
- こうなりたい自分になる為の変身時間として
上京は、
- 核家族という意味ではなく大きな家族にとって自分がいないことで
何か変わるかもしれない
- 核家族としても上京することに意味があるかもしれない
- 10数年後を考えてタイミングとしては、22がいい
12月に病に伏せったとき、仕事も私事もファミリー事も全てフル回転状態でした。
よくその年齢で考えないことを考えている、と言われますが、
私の場合、両親が年を経ている分、
通常30代で起こるとされることに立ち向かうには、
25で相応のことを知る必要があると考えました。
時は止めることができず、進んでいきます。
中高時代、なぜ私は10歳年を経ていないのだろう、
あまりに不公平だ、と思ったこともありました。
20歳を越えれば誰もが同じ。
葬儀の時に幼少時代の写真を、見てふと思いました。
一定の年齢を越えると、
年齢にとらわれずその人の適正を見る社会になりつつあるのかと。
昔は、小さいからあかん、とか言われたこともありましたが、
今となっては下の子やからあかん、という言葉は耳にしなくなりました。
祖父母・叔母家族が言っていた、あんたは大丈夫や、
という真相が何なのか、とても気になります。
もし、あんたは大丈夫や、という裏付けがこれまでの自分の行動にあるとするならば、
私はまた、未来の自分が「逃げずに、立ち向かえる」環境にいるように、
今何かを選択する必要があります。
白黒つけたいこと、いろいろあります。
- 英語 (根性の英語より、ビジネス英語にする)
- 平社員のままの管理職か、管理職になって管理職を全うするか
- 技術職なのか、運用つくる職種なのか
- 人と人とをつなげる人なのか、一匹オオカミなのか
- 私事>仕事のバランス
- 信頼できる友か、縁を切るか
- 設計図なくお話を続けるか、設計図を作って実行するか
- 住む場所は暫くここか、広いところを探すか
- スケジュールなしの行き当たりばったり生活を続けるか、計画的な生活にするか
- 生活費と給与の管理は別々か、一緒か
- 掃除の習慣は時々か、役割分担するか
思い描いている光景を実現するためには、ひとつひとつ白黒つける必要があります。
その光景を絵に描き、見えるようにする必要もあります。
1月も4週目となりました。
49日目が私の誕生日、100日を過ぎるのが祖父の誕生日、
春には見舞いに行こうと思います。