何もやりたいことが思いつかない日
「何もやりたくない」
1年に数回そんな日は巡ってくる。
また休日だったとしても、
「何の為に私は今の仕事をしているんだろう、何がしたいんだろう」
と瞑想することが稀にある。
あと今年も残すところ2ヶ月半というところ、
今年の目標だったことはことごとく達成せず、延期となっている。
新たな目標が必要である。
その目標を立てる「精神的余裕」「時間的余裕」がない、
誰もが言いそうなその理由で逃げたくなる。
逃げたくなるのはよくわかる。
しかし、逃げてもよくないのもわかる。
そんなときは振り返る時間を、しんと静まりかえった夜につくることにしている。
たとえば英語留学したときは
何もやりたいことが思いつかず、加えて時間がある大学1年生の頃、「嫌いなこと、苦手意識があることに対し逃げずに立ち向かう=克服する」ことを目標としていた。
理由は簡単、嫌なこと、苦手なことをずっとそのままにしておくと、一生嫌だから、苦手だから逃げてしまうことになるからである。克服することで、また道は拓ける。
実際、道は拓けた。
たとえば人と話さなくても生きていけると思っていたときは
実際はひとりでいるのは寂しいけれど、関わりがないことで下手なトラブルもなく災いもないため、そのままでよいと思っていたときがあった。ただ、年齢を経ていくことで、もし自分でひとりで生きていくことになったとき、「誰とも関わらない生活」をして生計をたてていくことは、困難だと想定した。
それでは、生きやすい人間とは、どのような種の人間なのだろうか、と思いをめぐらせた。よく声をかけてくれた○○さん、周りの状況を把握して人と楽しそうに会話を弾ませている○○さん、自然と明るくしていく○○さん...こんな人だったらいいな、という人の外見、内面を思い描き、それに近づけようと考えた。
しかし、徐々に変えたりするのは困難、そして何より自分を変えるというのは「自分との勝負」である。葛藤が生まれ、ふと思いついた。
そうだ、外見から留学のタイミングで変えてしまおう。
意外と考えることがアクティブだ、と我ながら思う。
イマ ノ モンダイ ハ
- 英語はだめだ
- どれかひとつに絞るのが効果的だ
私は生来、人からアドバイスをもらって行動するということをしない性質である。
頑固者なのだ。人を信じる、ということをすることはあるが、自分の行く末は、自分が考え、自分が進めることを堅く決めている。
なので、「26、私は後継者を育てようと思う。君には、その素質はある。学ぶ気があるなら、現場か管理側か選べ」といった誘い文句をかけられても、ピンと来ないのである。現場か管理側か選べ、ねぇ。生きられるほうはどっちだ。
その人がいうことも分かる。どっちつかずで、またつぶれるぞ、という警告である。
かつての私は、他の学生が3ヶ国語目を受講しているのを他所に、プロとしてやっていくならば、完璧に英語をマスターするくらいの勢いで、3ヶ国語目を不意にした。
おかげで、英語でうまく立ち回れた4年間があるが、ここ最近、いろいろな点で疑問難問が出てきており、もはやプロになると思っていたところがどこにいったのやらの状況である。
したがって、現場寄りであることは変わりない。しかし管理側になぜ私は立っているのか。これは、現場で動かせないことが多くあり、管理側でなければ動かないものも多くあるからである。「物事を動かし、業務を先に進める」これが念頭にあり、その為の手段としてダブルワークがある。
これに加えて、各種雑用があり、3名分の役割をやりくりしている状況である。
そりゃ、休日は「何もやりたいことが思いつかな」くもなるわ。
- 日本語・英語はもうそろそろ屈辱を覚えるレベルに達している。
これは今飛び越えなければ、一生泣いていくことになるだろう。
- 現場か、管理か
年齢を考えるとまだ現場にいたい。ただ、実務としては管理側がおそらく適当か。
仕組みを作ったり、整えたりすることに、(微々たるものであるが)才覚があるらしい。そこでスペシャリストになれるのか、おいおい道を模索する必要がある。
- 結婚とか幸せとか
きっとまだ先になる。今する気にはなれない。
少しは方向性を考えられた。やはり、最優先課題は、「言語」らしい。
また泣きながら勉強しよう。